家づくりから始めるスローライフ

土地選びから始まったスローライフ日記

2006年09月27日

小豆

6月だったか7月だったか農協へ買い物に行ったとき、小豆の苗があったので植え付けてみた。大豆である枝豆は虫がついて散々だったが、小豆は何とか実が食べられそうだ。

まだ花が咲いているものもあるが、実が茶色くからからになっていたものを収穫してみた。簡単に鞘が割れ、中から出て来たのがこのかわいらしい6つの小豆。

花も緑の鞘もたくさんあるので、これからもっと収穫できそうだ。1回分くらいのお汁粉にはなりそうかな。

先日いただいた栗で栗蒸し羊羹を作ってみた。小豆はもちろん鈴木農場さんのもの。大量に作ったのだが、“止められない止まらない”、あっという間に消費できそうだ。

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2006年09月25日

運動会

昨日は地区の運動会。運動会なんて久しぶりだ。高校以来だろうか。朝9時開始。私は少し遅れてもいいかなと思っていたが、家人は8時45分になると「さあ、行こう」という。すっかり時間前行動が身についたようだ。

歩いて5分のお宮の広場には既にかなり集合していた。早めに来て正解。運動会は地区内の6つの班による対抗戦。もちろん真剣に走るような競技はない。ボールを蹴ったり、ゲートボールで瓶を倒したり、そんな誰にでも参加できるのんびりした種目ばかりだ。

最初の2種目でリードに立った我が班はどんどん成績を落とし結局4位。のんびりムードと言ってもやはり順位を決めるとなるとちょっと盛り上がる。最後の玉入れは皆必死だった。

この運動会のメインは競技後の親睦会。各班で料理を用意し宴会が始まる。昼からビールやら日本酒やらがめいっぱい振る舞われる。青空の下、食べる料理も飲むお酒もとても美味しく、楽しいひとときであった。

宴会の場の中で、「畑を貸してやるよ」という人が現れた。実は先日散歩の途中でも畑を貸してくれる人に出会ったのだが、やはり遠いということで結局その話は消えてしまった。私たちが遠くに畑を借りようしているという話を聞いた人が、空いている畑を持っている人に話をしてくれたのだ。その畑は近くも近く、目と鼻の先だ。こんなところを借りられるとは。広さもちょうどよく、草刈りもしてあるので、堆肥を入れればすぐに野菜は作れるということだ。

本当にうれしい話だが、畑を借りられるうれしさより、私たちが畑をやりたいということを聞いて皆がどこかないかと気にかけ見つけてくれたことが何よりうれしい。畑の状態のチェックは厳しい。気を引き締めてやっていかなくては。

〜秋の風景〜
庭の萩は満開。

トウガラシはそろそろ終わりかな。

オクラももう少し。

真っ青な空。キクイモの花がきれい。

これも秋の風景。夏の暑さから開放され、秋の涼やかな空気の中で熟睡。

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2006年09月21日

季節を感じる

秋分の日を前に、彼岸花が真っ盛りである。道ばたにニョキニョキ。我が家の庭の横でもいつの間にかニョキニョキ伸び、きれいな花を咲かせている。

昨日朝、お隣のおばあさんが栗を届けてくれた。毎朝、暗いうちから栗拾いをしている。「イノシシとの競争だよ」。大きくなった実は夜のうちにイノシシに食われてしまうそうだ。

夕方ビーちゃんとお散歩に行くと、野菜作り名人さんが里芋をくれた。真っ白できれいな里芋。その後、ナナちゃんの家の前を通ると、ナナちゃんのおばあさんがまたまた栗をくれた。手に持てないほどいっぱい。

夕食はもちろん栗ごはんと、もらった里芋、栗と我が家で収穫したサツマイモとゴボウを使った煮物。季節感いっぱいの食卓となった。

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2006年09月20日

写真公開

先日撮影した写真ができてきた。さすがプロ!雑草もひとつの風景にきれいにおさまっていた。今まで撮影が難しかった地下室や階段もお見事!撮ってもらってよかった。

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2006年09月15日

自然にやさしい家

地球の温暖化が問題になり、「環境にやさしい」「自然にやさしい」ということがさかんに言われるようになった。家づくりでも「人と自然にやさしい家」というのが流行だ。

「人と自然にやさしい家」というと太陽光発電、自家風力発電、オール電化ということを思い浮かべる人が多いように思う。ハウスメーカーのチラシなどをみても、そういったものを売りの一つにしているところが多くなった。電力を自分で作れば光熱費もかからず、余った電気は電力会社へ売れる。少し高額になっても設備を入れておけば、自然にやさしく、後々とってもお得ですよ、というわけだ。

確かにそのような設備を入れ、太陽光や風力で電気をつくるのは自然にやさしいことかもしれない、しかし、そればかりが自然にやさしいのではない。自然・環境にやさしいというのは無駄なエネルギーを使わないことだ。直接的、間接的なエネルギーを極力抑えること、そういう生活をする、そういう生活ができる家が自然・環境にやさしいということではないだろうか。

我が家は自家発電する設備もなく、オール電化でもない。唯一雨水を利用するタンクがついているくらいだ。

だが、庭には野菜を作る場所があり、できるだけ自分たちで食べる野菜はここで作りたいと思っている。また、地下室以外はエアコンはなく、夏は窓を開けて自然の風で涼をとり、冬は薪ストーブ1台で暖をとる。そうじは掃除機は使わず、ほうきとぞうきんである。この床は磨けば磨くほど気持ちよく、掃除が苦手な私でも毎日磨きたくなる。そして、畑仕事や薪割りなど身体を使った仕事が多くなり、朝は早く起きだし、夜は早く寝る。家の中では自然の音が楽しめるので、静かに本を読んだり、居眠りをしたり。テレビをつけることは少なくなり、消灯も早い。

これが私たちの生活だ。どこにも無理がなく、毎日のあたり前の暮らし。これが少し自然にやさしいと思っている。戸だてにすると光熱費が増えるという話を聞くが、電気、ガスともマンションのときより減っている。

お尻は右、顔は左を向いて寝ているビーちゃん。最近はハウスがお気に入り。人間のような大きないびき、そしてクンクンクンととてもよく響く寝言を言って寝ています。

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2006年09月14日

写真撮影

日曜日、プロのカメラマンが写真を撮ってくれることになっていた。住み始めて半年もすると、既に不要なものが増えだし、生活感いっぱいの家になっている。少しでも写真撮影に耐えうる空間を作ろうと、しばらくは掃除の日々が続いた。

当日も朝から大忙し。ビーちゃんのよだれや鼻水がシミになっているところに蜜ロウを塗ったり、余分なものを納戸や雑庫に押し込んだり。納戸と雑庫は足の踏み場もない状態となった。

そうこうしているうちにどんどん時間は経つ。そんな焦りの中、家人が言った「花があるといいね」。そうだ、写真撮影には花だ。農協に買いに行くか。でもこの家には素朴な花がいい。農協にそんな花があるのか。そうだ、コータくんのお母さんに相談しよう。

急いでコータくんのお母さんに電話をし事情を話すと、畑に花を取りに行ってくれるという。すぐにコータくんの家に出向く。用意してくれたのはベロンとトウガラシのようなナンテン。ベロンはこの近隣の農家の多くが作っている。畑に植えられているときは目立たないが、葉をきれいに処理し、花瓶にさすと抑えた色調ながら、とても華やかに見える。コータくんのお母さんは出荷できるくらいの良いものを惜しげもなく、用意してくれた。

ナンテンとベロンとその前の日にもらったトウワタを飾った。買ったものとは違う控えめな素朴な花たちは我が家にとてもよくマッチした。

撮影は2時間ほどで終わった。外観とリビング、地下室、階段。昨日できあがった写真を少し見せてもらったのだが、我々素人が撮る写真とは全く違う。雑誌に掲載できそうなおしゃれな写真になっていた。

この写真はまた手元に届いたときに紹介するとして、我々が撮影した、掃除をして久々にきれいになった我が家である。

室内の写真にはすべで登場したビーちゃん。我が家のスーパーモデルはお疲れのご様子。大好きな肉巻きガムをもらって熟睡中。

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2006年09月13日

どうしてここに(6)

この週末は忙しかった。追加の薪が届いたり、写真撮影があったり、原稿を書いたり。それ自体は大したことはないのだが、それに付属する事柄がいろいろある。おかげで薪は今シーズン十分焚けるほど揃い、写真撮影のための大掃除は久しぶりに広い空間を生み出し、家づくりをまとめた大作ができた。この家づくり原稿はとてもいいできなので、ここでも紹介してみようと思う。

さて、運命の見積もりが出たところで連絡があった。「見積もりが出たので打合せがしたい」それだけである。見積もりの金額等についてはいっさいコメントなし。きっとかなりオーバーしているのだと予想はついた。

打合せに赴くととても暗い表情の所長。実はと出された見積もりは予想を超えるオーバーだった。オーバーの金額は土地代をも上回る。途方にくれる一同。とりあえず話すこともなく、その日の打合せは終了。

ここで我々の家の予算の出し方について説明しよう。まず、二人の総資産を出す。そのうち、いくらを残すかを決める。残す金額を総資産から差し引いた額が自己資金である。そして借り入れ。返済期間を決める。長年、返済に追われたくないので最大15年。次に月々の返済金額を決める。ボーナス返済を考えず、それまで住んでいたマンションの家賃を超えない金額とした。その二つのトータルが土地代を含めた家づくりの資金である。この金額は、現場が始まればあれやこれや付け足したいものが出てくると思われるので、設計の段階では死守すると決めていた。

家に帰っても暗い。二人でどうすればこの金額が減るのか話し合う。そんなところへ住環境研究所から減額案というタイトルのメールが届いた。そこには「これを止めれば、いくら減額できる」という一覧表が添付されていた。それを見てますます落ち込む二人。こんな減額をするなら建てない方がましだと思われた。次の打合せのまでに二人でどうするかを話し合う。出した結論は「クオリティを落とさず、家を小さくする」。

結論を持って打合せに臨む。とりあえず、住環境研究所の意見も聞いてみるが、やはり納得できるものではない。「家を小さくしたら減額できますか?」と切り出した。早速図面を取り出し、いつものように鉛筆でさらさらとラフを描きだす所長。「これくらい小さくすれば」と差し出したのが東西を90cmずつ小さくしたもの。「これでいきましょう」。

家は小さければ小さいほど設計が難しい。建築家の腕が問われる。今回は元から小さいものを更に小さくする。その作業は思いのほかたいへんだった。

一番とまどったのは1Fのリビング。どうしても食料品などを置く雑庫への入り口が作れない。レイアウトをどう変えても解決できない。いらだつ我々。「ここでこうしていても時間が経つだけなので、一度よく考えていいアイディアが出たら連絡をください!」という私。「ここで一緒に考えましょう」という所長。お互い語気が強くなり、険悪ムード。空気がどんどん重くなる。家人はどうしたものかと無言のまま。我々の家づくり船は沈没寸前だった。

そのとき「トイレの奥に雑庫の入り口を作ったらどうでしょうか」。女性スタッフが突然言った。狐につままれたような三人に淡々と説明する彼女。

住環境研究所では一つの物件に一人の女性スタッフがつく。一級建築士の資格を持つ彼女たちは建物が好きでとても研究熱心。また女性ということもあり、細かい気遣い、アドバイスをしてくれる。この沈没しかけた船を救ってくれたのは我々の担当だったこの女性スタッフである。

彼女の説明に三人は拍手喝采。「すごいすごい」を連発する我々に「安藤さんの美術館にそういうのがあったのでおもしろいなと思って」と謙虚に笑う。彼女の建築好き、研究熱心さが生み出したアイディアだった。

重苦しい空気は吹き飛び、反動でいつも以上の明るい活気にあふれた空気になった。その雰囲気の乗って「たれ壁の上も人があがれるといいですよね」と軽く言った所長。「やあ、私もスタッフに負けられない、何かアイディア出さなきゃと思いまして」と満面の笑み。後にこの発言が大工さんをとても困らせることになる。

レイアウトも固まり、再度見積もりを取ることとなった。出て来た見積もりは業者さんの配慮もあり、許容範囲となる。そしていよいよ現場がスタート。その模様は既にお伝えしているとおり。

家を建てようと決めてから完成までちょうど2年。山あり、谷あり。悩んだことも多かった。だが挫折しそうなとき、一緒に考え、とことん話し合ってくれたのが、住環境研究所の所長、女性スタッフであった。この人たちのねばり強いサポートがなければ、この家の完成はなく、今これほど満足のできる生活を送ることはできなかったと思っている。建築家、設計事務所を選ぶとき、アドバイスがあるとしたら、その建築家がどんな建物を建てているのかを見るのも大事だが、その人間性、自分との相性を見ることも重要である。自分の思ったことを言えるのか、それを受けとめてくれるのか、話し合えるのか。それができなければ満足した家は建てられないのではないかと思う。我々の家づくりが成功したのは、こういった建築家との出会いがあったからだと確信している。

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2006年09月08日

どうしてここに(5)

8月末、長かった土地探しがやっと終わった。

売買契約は借り入れを行う銀行で行われた。売り主、売り主の不動産屋、我々、我々の不動産屋、司法書士が出席。銀行が準備した用紙に名前を書いて、印鑑を押して終了。これで土地が我々のものになり、家づくりは後戻りができなくなった。

9月に入るとご近所に挨拶にまわった。実はこの土地を買う一番の後押しになったのはご近所の方との出会いだった。まだ土地を買うかどうか最終的な決断をしていないある日、やってくると、隣のアカシヤの畑で作業をするお隣さんを見つけた。この土地を訪れるようになって初めて出会う「ご近所さん」だった。雑草をかき分けて近づき、思い切って声をかけてみた。

「この土地を買おうかと思っているんですけど」。
「それは、それは。こんな田舎で若い人は嫌って出ていく人もいるけど、ほらっ、ウグイスの声が聞こえるでしょ。静かでとてもいいところなんだよ」。
これが今でもとてもお世話になっているお隣さんとの出会いだ。人との関わりを持って暮らしたいと思っていた私にこの出会い、この言葉はここで暮らす決心をさせたのだった。

土地の契約の前に、住環境研究所との契約は既に終わり、総予算の確認、おおよそのプランなど打合せが始まっていた。

家づくりに当たり、我々がどうしてもほしかった部屋がある。家人の「音楽室」だ。それまで住んでいたマンションではピアノが私の寝室の枕元にあった。仕事から帰った家人がピアノを弾き始めるとすぐに私の就寝時間になる。音は出さないが、鍵盤をたたく音、ペダルを踏む音で眠れない。家人が自由にピアノを弾き、私はそれを気にせず眠るために音楽室がほしかった。

雑誌で音楽室を調べると、「地下の音楽室」を紹介しているものがあった。「地下室」。これが実現できないだろうか。

予算が厳しいことはわかっていたが、恐る恐る「地下室」を切り出してみた。「土地の形が特殊なのでおもしろいかもしれませんね。基礎の部分が部屋になる半地下みたいな形で。地下室はやったことがありませんが調べてみましょう」。意外にも良い反応。うれしくなる。

しばらくして地下室を含んだ最初の案が出て来た。軒の深い片流れの屋根の下に、広いベランダ、四角い箱型の家。中は地下の音楽室、1階の吹き抜けのリビング、水回り、2階にそれぞれの個室。この後、お互いに意見を出し合い、紆余曲折はあったが、最終的に一番最初に出たこの案に戻る。テーマは「シンプルな美しさ」となった。

室内はなるべく塗装を少なく、木を見せるように希望した。全てを木にしても良いと思っていたのだ。しかし所長から「少し白が入ると、より木が引き立つ」と説明された。今できあがってこの説明は正しかったと実感している。少しの白い壁が明るく木のやさしさを引き立てている。

冷暖房機器はそのころよく雑誌で取り上げられていたPSを希望。しかし見積もりを取ってみると、とても実現できる価格ではない。他にはこだわりがなかったので、予算を考えるとFFでも良いと思っていた。すると所長から「薪ストーブはいいですよ」と提案された。家人は「薪がたいへんでしょう」と拒否反応を示す。それでも暖房の話になる度に所長は「薪ストーブはいいですよ」と繰り返す。その静かな繰り返しに知らず知らず我々も「薪ストーブ導入」という気持ちになっていった。今からすると薪ストーブは機能面だけでなく、デザイン面でもこの家になくては欠かせないものだと思う。薪ストーブがどっしりリビングに構えているおかげで、この空間が引き締まり、落ち着きを生み出している。

また、照明は空間を考える上でとても重要なものと考えていた。こだわったのはハロゲン。暖かい光を出し、木の床や壁にとてもマッチする。リビングの照明は特に時間をかけて検討した。最初は天井からつり下げるペンダントタイプを提案されたが、器具が目立ちすぎる。器具は目立たない、あることを感じさせないものがいい。そんなとき雑誌で見かけたのがワイヤータイプの照明だった。梁の間にワイヤーを渡し、その間に3つの器具。器具は位置を自由に移動させることができ、ほとんど存在を感じさせない。見積もりも取ると、実現可能な範囲だった。

ショールームを巡り、キッチン、風呂を決めて行った。キッチンはできるだけシンプルなものがいい。家の中の空間の色は木の色、薪ストーブの黒、塗装壁の白、そしてシルバーと決めていたので、キッチンもステンレスのもの、余計の色がないものを検討した。当時フレームキッチンが出始め、雑誌などで紹介されていたが、この地域ではショールームに置いているところは少なかった。TOTOだけがショールームの入り口にフレームキッチンを置いていた。余計なもの、余計な色がない、「シンプルな美しさ」がある。これで決まりだ。

決めていく作業は楽しいが、とても疲れる。その作業も終わり、いよいよ運命の見積もり金額発表。設計を始めてから8ヶ月が経っていた。(敬称略)

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2006年09月07日

どうしてここに(4)

土地を買おうと決めてから赴いたのは、法務局、町役場、県の土木事務所である。法務局へは土地の登記簿謄本をもらいに行った。その土地に抵当権が設定されていないか調べるためだ。そして町役場では水道の状況を聞き、浄化槽の補助の説明などをしてもらった。当時はまだ合併される前で町役場はのんびりした雰囲気。この町内に家を建てようと思う一般市民だというとどの部署でもとても親切にしてくれた。

県の土木事務所へは売り主の不動産屋と我々の不動産屋とともに赴いた。もちろん「都市計画法」云々の確認である。

この土地は市街化調整区域であり本来新規の住宅を建てることはできない。それが線引き前に「宅地」であったことから「市街化調整区域における開発・建築許可基準の緩和」という特別処置が適用される。しかし、実際に家を建てるためにはいくつかの要件を満たしていなくてはならない。

その要件とは地域の要件、土地の要件、建物の要件である。土地は地目が「宅地」であるので問題ない。建物は専用住宅であること、そして大きさなどが決められている。大きさはこれに従って建てればいいのでこちらも大丈夫。問題は地域の要件である。「原則50以上の建物が連たんしている既存集落内」であること。それは我々だけでは判断できるものではなかった。不動産屋を交え、県の確認してもらうことにしたのだ。

県の担当者は不動産屋が準備した資料を確認し、「50戸以上連たんしているので大丈夫でしょう」と言った。一安心。「ただし、この見解は県の担当者の判断であって、今後町が合併し、市になり、市の管轄になればどう判断されるかわかりません。合併する前に確認申請を出した方がよいでしょう」。いかにも役所的発言。要するに「私がいる間は大丈夫だが、私が担当でなくなったら責任持てません」ということだ。

合併するまでには1年ある。とりあえずそれまでに確認申請を出せるようにがんばろうということになった。

役所での確認が終わった後は、不動産屋と水道工事の分担や隣地との境界の処理、側溝もなかったので側溝を誰が作るかなどの確認を行った。水道工事や側溝工事に関しては契約の際の重要事項説明書に別紙として付け加えてもらった。このような確認作業は電話など口頭ではなく、すべてメールで行った。後々、その経過が確認でき、言った、言わない問答がないように文書で残しておきたかったのだ。

不動産屋と確認作業を行う中、借り入れの銀行周りも行った。自己資金をすべて建物に使いたかったため、土地には借り入れ金を使用しようと思っていた。建物は建てている間に「これも加えたい、あれも入れたい」と増える可能性があるので、融通が効くようにしておきたかった。

銀行周りについては省くが一つ言えることは、田舎に家を建てるときは地元の金融機関を利用した方がいいということだ。我々が最初に相談に行ったのは大手都銀だった。「市街化調整区域」と言っただけで、担当者の手帳は閉じられ、「JAでも行かれたらどうですか」ときた。最近になって「当行の住宅ローンはお得です」というチラシが来たりするが、あのときの態度を思うとチラシをそのまま送り返してやろうかという気になる。

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2006年09月06日

どうしてここに(3)

このごろ佐藤愛子の『我が老後』シリーズにはまっている。5冊シリーズで『なんでこうなるの』、『だからこうなるの』、『そして、こうなった』、『それからどうなる』といったタイトルがついている。佐藤愛子の豪快な語り口がとても気持ちがいい。

建築家は決まったが、土地がなかなか決まらない。時間が経つにつれ、行き詰まり、疲れてきた。そんなとき目に留まったのが、「あなたにピッタリの土地を必ず見つけます」という不動産屋のチラシだった。「ほんまやな」と突っ込みたくなるいかにも怪しいコピーだが、行き詰まりを感じていた我々は訪ねてみることにした。

店で待っていたのはハキハキした感じのいい若者だった。希望を伝えると「海の見えるところですね、今から行きましょう」と立ち上がった。住所は聞いたが我々の知らない地名。とりあえず車で後ろをついて行く。これが何とも遠い。まだかまだか。1時間ほど走っただろうか、やっと到着。そこは海は海だが、太平洋だった。我々の考えていた海は湖。太平洋は初めてだ。確かに希望どおりだが、国道からの音がうるさく目の前に怪しいホテルが見える。「もう少し静かなところが。。。」と言うと、「静かなところですね、では行きましょう」。また1時間近くかけて戻り、店で不動産屋の車に乗り換え走る。案内されたのは現在我が家が建っている西隣の土地だった。

「そこに立てばここだ!と直感でわかる」と信じていたが、ここに初めて立ったとき直感はなかった。ただ「静か」という印象だけだった。

その後もしばらく土地巡りを続けたが、その間もここを何回か訪れた。するとだんたんここに来ると何とものんびりと落ち着いた気分になる。「ここかも知れない」、そう思い始めた。

いよいよ土地は2カ所にしぼられた。ここと、もう一つは海(湖)の見える5軒の分譲地だった。どちらがいいか住環境研究所の所長の意見を聞いてみようということになった。所長は快く引き受けてくれた。最初は海の見える分譲地。反応は今ひとつ。何やら計って「うーん」とコメントなし。そしてここ。「あちらより良いけど、ここは他より低くなっているので水はけが心配」。ほとんどここに決めていた私はがっかり。そこで一つ質問。「こちらの土地だったら、どうですか?」と東側の高くなった土地を指差す。「こちらなら水はけは心配ないでしょう、隣の畑も道路に面していないので、将来住宅になる可能性は低い」、そんな答えだったように思う。

何度かこの場所を訪れるうちに紹介された土地の東側(現在我が家が建っているところ)が気になっていた。もしここを買うのだったら、こちらも買えないか聞いてみようと思っていたのだ(実際には予算がないので全く無理)。その足で不動産屋へ趣き、土地が売り出されているか聞いてみた。「もう決まっています」。またまたまたがっかり。「でも、ちょっと待ってください、確認します」。不動産屋が電話をかける。受話器を置き、しばらく待つ。電話が鳴る。話をする。我々の方を向く。「大丈夫です」。

何やら不動産屋間で交渉があり、いきなり大丈夫になってしまった。まだ我々は買うと言った訳でもないのに。「僕は海より山の方がお二人に合うんではないかと思っていました」と不動産屋。「ほんまか?」とまたまた突っ込みたくなる。

土地の詳しい説明を聞くと住宅を建てるのはいくつかクリアするハードルがあった。水道、下水道はもちろんない、一番のネックは「都市計画法」。この法律に定められた条件を満たさなければ家を建てることはできない、期限も決められている。この後もネット検索、役所巡りの日々が続くこととなった。(敬称略)

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2006年09月05日

どうしてここに(2)

こうやってシリーズで書くのは飽き症の私にはかなり難しい。何回まで続くことか。

土地探しはかなり困難を極めた。市街化調整区域の壁である。この地域では街中から車で30分も行けば、畑や田んぼの緑が広がる。緑豊かな土地はすぐに見つかるだろうと思っていた。ところが、そういった土地はほとんどが市街化調整区域、住宅は建てられない。土地があっても土地がないという問題にぶちあたった。

当初家人の希望は海の見える場所。私の希望は緑豊かで静かな場所、具体的な希望はなかった。その場所に立てば「ここだ!」とわかると思っていた。不動産屋周り、ネットで検索する日々が続いた。分譲地や別荘地、中古住宅も見て回った。不動産屋の決まり文句は「ここなら夏○○の花火大会の花火が見えますよ」。一年に1回の花火大会で土地を決める気はない。どうしてどの不動産屋も同じことを言うのか不思議だった。

土地探しと同時に進めたのが建築家探しだ。ハウスメーカーや工務店に頼む気は全くなかった。一緒に悩み、考え、我々も深く関与してつくり上げる、そういう家づくりをしたかった。土地が決まっていない時期に探し始めたのは土地探しからアドバイスをしてもらいたかったためだ。

最初に連絡を取ったのはこの地域では老舗らしい建築家だった。コンクリート造のモダンな家づくりをしている。しかしこれは大失敗だった。我々の目指す一緒に家づくりをするという希望には合わない。少しの話の中からこちらの希望が全てわかったというようにどんどん話を進めていく。このテンポにはついていけない。

次に連絡をとったのが、住環境研究所。私が理想としていたのはやさしさのある木の家。住環境研究所のサイトを見て、理想のイメージに合うこと、そしてクオリティとデザイン性の高さに魅かれた。しかし、返事は「今他の仕事で手一杯なので1ヶ月後でなければ会えない」。1ヶ月待てるかどうか。

その間にも土地探しは進み、家人の希望の海のほとりの土地が見つかった。住環境研究所に後ろ髪ひかれつつも、別の建築家に連絡をとった。この建築家は若く、人気も高い。会ってみると人柄も悪くない。話は進み始めた。しかし、私の中では「ここでいいのか、この人でいいのか」という不安があった。

不安は的中した。土地は地盤が悪く改良が必要だ。価格は下げてくれたが、改良費などを考えると予算はかなり厳しくなる。建築家とも相談し、この土地はあきらめることにした。私自身はほっとした。

そうこうしているうちに、住環境研究所に初めて連絡を入れてから1ヶ月がたった。所長から連絡が入り5月の連休中に会うことになった。事務所の隣には所長の自宅がある。この事務所と自宅を見た瞬間、我々の中で建築家探しは終わっていた。ここにお願いしよう。

事務所のドアを開けると想像どおり、あたたかい空間が待っていた。所長は今まで会った2人の建築家とは全く違う雰囲気を持つ。オープンシステムや家づくりの過程の説明が静かに行われ、最後に自宅を見学。こういうやさしい家で暮らしたい、自分たちの暮らしが想像できる空間だった。こうして建築家が決まり、この日が本当の家づくりのスタートとなった。(敬称略)

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どうしてここに(1)

最近、犬のブログになっているので、ここらへんで少し家の話をしよう。

今日「なぜここに家を建てたのか、ここでどんな生活をしたかったのか」というテーマで文章を書くという宿題をもらった。実際に提出するものは家人に任せようと思うが、私なりにここで書いてみようと思う。

私がこの街にやってきたのは小学校へ入る1年ほど前だった。それまで住んでいた大阪は記憶にうっすら残る程度だが、田舎で畑や田んぼに囲まれたところだった。家は平屋だったが、庭も広かった。夕方母や姉と田んぼのれんげを見ながら、散歩をするのが好きだったように思う。ところが、こちらへ越して来て住むことになったのは街のど真ん中。アスファルトの道路に囲まれ緑はなく、家には土の庭もなかった。周りは車の音やカラオケ、人の話し声など、人工音がうるさい。とにかく静かなところに住みたい、自然の緑に囲まれたところに住みたいというのが夢となった。

自然へのあこがれは強かった。会社勤めをやめたのも、オフィスの中にいると外で雨が降ってるのか、お日様が照っているのか、暖かいのか、寒いのか全く感じられない、そんな自然の空気が感じられない生活がとてもストレスになったからだった。

結婚をして住んだのは10階建てのマンションだった。実家ほどうるさくはないが、敷地内を新幹線が通っていた。そして今度大きなストレスになったのは人との関わり合いがないこと。自分の部屋以外はどんな人が住んでいるのかも知らない、町内の人とも全く関わりはない。道で人に会っても知らない人ばかり。挨拶もしない、話もしない。そんな人との関わりのなさがしんどくなった。

家を建てようと決めたとき、このストレスを解消できる場所を探すことが最初の課題となった。自然に囲まれた場所、車やカラオケなどの人工音のない場所、そして人との関わりを持てる場所。これからの生活を決める土地探し。安易に妥協はできなかった。

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2006年09月01日

久しぶりの大雨

この家での初めての夏。梅雨が明けたばかりのときは暑い日が続き、クーラーなしの日々がつらく感じられた。しかし、梅雨直後の猛暑が終わり、8月に入ってからは過ごしやすくなった。特に朝晩は涼しく、このごろは夜は窓を閉め、長袖のパジャマでふとんをかぶって寝る日が続く。昼間も家の中は涼やかな風が通るので、ニュースで「今日は34℃」という日でもさほど暑さは感じなかった。

今日は朝から久しぶりの雨。先日植え付けたブロッコリー、赤キャベツ、カリフラワー、芽キャベツの苗は日差しに少しお疲れ気味だったので、ちょうどいいお湿りとなった。昨日の畑を借りる話はお隣さんやコータくんのお母さんに相談したところ「いい話だね、最初にやってみて遠くてたいへんだったら止めると言っておけばいいよ」と言ってくれた。週末に再度家人と確認し、借りようと思う。

今朝は雨のためビーちゃんのお散歩は中止。小降りになったとき、「お散歩行く?」と聞いてみたが、もともと雨が嫌い、このごろ朝のお散歩は気が乗らないということで身体全体で「行かない!」と主張。午後には雨があがるようなのでまた誘ってみようと思う。今は熟睡中。

最近、三重県のブリーダーのお話や中国での犬の大量虐殺など心痛む話をブログで読むことが多い。それだはなく、日本の動物保護がいかに遅れているのかを知る機会が多くなった。このような話を読むにつけ、ビーちゃんに対する我々の責任の重さを改めて感じるのであった。

以下は最近読んでいるサイト。中国の大量虐殺のサイトは悲惨な写真があるので、気を引き締めてクリックしてください。
三重県の話
中国の話
愛護センターレポート

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