ご近所では街中の企業へ働きに出ている人も多く、感覚的にはそれほど田舎ではない。しかし、冠婚葬祭、祭りなどにはまだ昔の考えが強く残る。
今年班の役を引き受けたが、一つ気がかりなことがあった。それは班の中でお葬式が出た場合である。班で受け継がれているノートもまわってきたが、それを見るとお葬式があった場合は2日間の40〜50人分の昼食、夕食をすべて班の女性が作ることになっている。そのとりまとめをするのが私が今年引き受けた役の仕事である。これはまだ私には難しいだろうととても不安であった。
ところが日曜日の朝7時前、班の言い継ぎで班内にお葬式が出たという連絡がまわった。班でどのように仕事分担をするか話し合うため、9時に集合。急いで受け継がれたノートをおさらいして出かけた。
行ってみると葬儀業者から葬儀の説明があり、今回はすべて業者が行うため、隣家では香典の受付をするだけということだった。今では普通になった葬儀の行い方のようだが、このあたりでは業者任せは初めてらしく、皆戸惑っている。業者の説明の後、班で話し合いを行い、祭壇に備える花をつくること、香典受付は一家一人が出て式場と自宅に別れて行うことが決められた。業者からは3人程度と言われたが、式場に7人、自宅に6人体勢である。
月曜日の午後から花づくりが行われた。花づくりというから台があり、それに花を飾っていくのかと思っていたが、それは大きな間違い。まず花を生ける台を作る。その台にする竹を竹やぶに切りにいくところから始まるのだ。直径20cmほどの大きな竹を切り、それを対になるよう節を合わせ1mほどの長さに2本切る。後はタケちゃんの指導のもと、器用に細工をし、手桶風の花かごをつくる。それにオアシスを入れ、それぞれの家で作っている蘭、シャクヤク、スノーボールを生けていく。3時間ほどでとても見事な「花」ができた。
そして、昨日は朝から香典受付。私は自宅組。昼までの4時間ほど近隣の人を中心に絶えることなくお参りにくる。
夕方式場から皆が戻ると班の人たちが祭壇の前に整列し「四十九日の餅」。これは丸い餅を細かく切り、参列者の間でまわして食べる。最初は一通り食べ終わったら、後は親族で食べるのかと思ったが、これも間違い。餅がなくなるまで何回も皿がまわってきて、まわってきたら必ず食べなくれはいけない。5〜6回ほど次から次へとやってくる。この習慣は今まで経験したことがなかった。その後はタケちゃんの音頭のもと、皆で念仏を唱え、解散となった。
初めてのことで戸惑い、驚くことも多かった2日間。最近では業者にまかせてしまうお葬式が主流だが、この地域ではまだまだ自分たち皆の手で送り出したいという気持ちが強い。会社勤めの人が多くなり、思うように休むこともできず、難しくなっていくのだろうが、できるだけ残してほしい「心」である。
アキさん、コータくんのお母さんにもらったシャクヤクとスノーボール。


「花」を作るために皆が出した花の残りをいただいた。

コメント
こんにちは〜♪
うわっ、大変ですね・・・とビックリする反面、
手間をかけて心尽くす、人と人のつながりが生きているなんて、すばらしいなぁとうらやましく思ったりもします。
うちも結構田舎で、引っ越してきた時はビックリするような習慣もありましたが、結局時代の流れ、人の流れと共に「形」だけが残されていて、面倒がられ、嫌がられて消えていきつつあります。そこに尽くされている「心」が読めるゆとりがあれば、もっと理解できるところもあったのでしょうけどね。
投稿者: まある | 2007年04月20日 07:08
まあるさんだ〜!こんにちは。コメントありがとうございます。
このへんは山の中なので人が住むには難しく、皆で助け合わないとできないことがたくさんあります。
その助け合ってきた仲間を送り出すときは、やはり皆でっていう気持ちが強いのでしょうね。
私も最初は面食らいましたが、一緒にやっていくうちにその気持ちが伝わってきました。
でも、世代交代していくと難しくなっていくのだろうなというのも感じます。
とても寂しいですね。
投稿者: maki | 2007年04月20日 13:21
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